東京大学生命科学シンポジウム2010

地球上の生命に関する不思議や、病気の原因や治療方法の開発、生命科学と人間社会の関わりなど、東京大学では多種多様な分野の研究と教育を進めています。

優生主義と婚姻~戦前の日本を素材に~

 しばらく前から成年年齢の引き下げが検討されており、法務大臣の諮問機関である法制審議会は昨年秋に、現在の20歳を18歳に引き下げるべき旨の答申をした。また、年明けには、現行の婚姻年齢(男子18歳・女子16歳)の改正し男女ともに18歳とする提案を含む民法改正案が近々閣議決定されるとも報じられている。
 ところで、現行法が成年年齢を20歳とし、婚姻年齢を男子18歳・女子16歳(戦前は男子17歳・女子15歳)としているのはなぜなのか。民法草案の作成を担当した法典調査会の議事録を繙いてみても、成年年齢に関しては、残念ながら実質的な理由は必ずしもはっきりとしない。これに対して、婚姻年齢に関しては、身体的に未熟な男女が産む子には問題が多いということで、早婚の弊害を除去しようという思惑があったことがわかる。
 いまでは、このような優生主義的な発想は、少なくとも法の表層からは消えている。人工妊娠中絶に関する優生保護法も、その名称が母体保護法に改められている。ところが、戦前の民法(家族法)の歴史を振り返ってみると、優生主義は意外なところに意外な痕跡を残している。
 シンポジウムにおいては、戦前の女性解放運動の過程で浮上した3つの立法案の1つである花柳病男子結婚制限法案を素材に、優生主義と結婚をめぐってどのような議論がなされたのか、それが戦後にどのような影響を及ぼしたのかという問題につき考えてみたい。 
 今日、生殖補助医療技術の発展は著しく、世界中で様々な法的問題・倫理的問題が生じているが、各国の対応には優生主義に対する態度が影響を及ぼしているように思われる。これに対して日本では、少なくとも法学の領域に関する限り、優生主義をめぐる議論はあまり盛んではない。戦前日本の優生主義を再検討に付すことを通じて、現代日本の優生主義観に及ぶことができればと思う。

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大村 敦志
大村 敦志
法学政治学研究科

略歴
1982年 東京大学法学部卒業
1985年 同助教授
1998年 同教授

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