東京大学生命科学シンポジウム2010

地球上の生命に関する不思議や、病気の原因や治療方法の開発、生命科学と人間社会の関わりなど、東京大学では多種多様な分野の研究と教育を進めています。

生命現象と自由

 哲学およびグローバルCOE「死生学」の立場から、生命科学的な研究が人間のありようの、とりわけ倫理的なあり方の解明にどのように貢献しうるかについて、検討する。今回は、「自由」という、人間にとって本質的な、そして倫理学における根本的な概念に焦点を合わせたい。というのも、人間の自由なありようや振る舞いについて、生命科学的な知見を通じて、たとえば脳状態や遺伝子の概念によって説明しようという論調が前世紀以降綿々と続いており、それは哲学の観点からしても検討に値すると思われるからである。ここではまず二点確認をした上で、二つのトピックを紹介し、そこに見出される問題性を論じてゆく。
 最初の確認点は、「事実/規範」という、基本的な区別についてである。「事実」とは「何々である」という記述であり、「規範」とは「何々すべきである」という当為の表現である。この二つは混同されてはならないという古くからの議論があり、そうした混同は「自然主義的誤謬」と呼ばれる。今日、自然科学的な知見によって自由や責任などの倫理的な概念を解明しようとする自然主義的なアプローチが、たとえば「脳神経倫理」とか「道徳心理学」といった領域で展開されているが、そこではいつも「自然主義的誤謬」の影がつきまとう。まずこの点を確認して、問題の背景を理解する。
 次に確認したいのは、主題となる「自由」の概念についての系譜である。これについては哲学では昔から、「自由と必然は両立するか」という形で論じられてきた。そして、たとえ全体は必然的に決定されていたとしても、意志に由来する行為は自由な振る舞いだとして、自由と必然は両立するとする「両立主義」と、自由とは必然性から免れていることだとする「非両立主義」の立場との対立が論争の軸を形作ってきたという系譜を紹介する。
 以上を踏まえて、二つのトピックに触れる。一つは、ベンジャミン・リベットの実験である。これは、自由な行為を意識的に意志する前に、その行為の「準備電位」と呼ばれる脳状態が脳に発生していることを報告する実験で、行為の原因が意志にあるとはいえないかもしれないということを示唆する。第二のトピックは、いわゆる「犯罪遺伝子」の問題である。こうした遺伝子を持つ人々は強い犯罪傾向をもつとされる。「遺伝子決定論」と呼ばれる考え方に結びつく議論である。では、彼らは自由に行為を選択し、よってそれに責任を持つ人格とは言えないのか。こうした二つのトピックに対して私は、先に確認した二つの論点を適用して、問題点を洗い出し、そのことによって生命科学が倫理に対してどのような寄与をなしうるかについていささかなりとも明らかにしていきたい。

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一ノ瀬 正樹
一ノ瀬 正樹
人文社会系研究科

略歴
1981年3月 :
東京大学文学部第一類哲学専修課程卒業
1988年3月 :
東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻
博士課程満期退学
1991年4月 :
東洋大学文学部専任講師
1994年4月 :
東洋大学文学部助教授  
1995年4月 :
東京大学大学院人文社会系研究科助教授 
1997年11月 :
博士(文学)の学位を取得
1998年3月 :
第10回和辻哲郎文化賞(学術部門)受賞
1998年3月 :
第6回中村元賞受賞  
2002年7月 :
オックスフォード大学客員研究員
(~2003年7月、2008年11月~2008年12月)
2007年1月 :
東京大学大学院人文社会系研究科教授
現在に至る
2009年4月より
放送大学客員教授も勤める

参考資料
●『原因と結果の迷宮』(勁草書房、2001年9月)
●『原因と理由の迷宮 -「なぜならば」の哲学』(勁草書房、2006年5月)
●「動物たちの叫び-「動物の権利」についての一考察-」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/eth03/
Screaming_of_Animals_An_Enquiry_into_
Animal_Rights.pdf
●"The Paradox of a Dead Person" http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/
pdf/eth04/WEB_version_Ichinose_The_
Paradox_of_a_Dead_Person.pdf

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